本節で述べるのは上古漢語の声母、韻母、声調の3つの状況である。先人の韻母(韻部)の研究には成果があるため、まず韻部から述べる。
1.上古の韻母
第二節でも述べたように、清代の学者の先秦古韻の研究は卓越している。彼らはどのように上古の韻部を研究してきたのか。主に2つの材料がある。1つは先秦の韻文、特に『詩經』の中の韻脚である。2つ目は漢字の「諧声偏旁(声符)」である。
古代、少数の言語学者以外、一般の人は語音が発展するものであることを知らなかった。先秦の古音と後代の語音は同じだと考えていた。彼らは『詩經』を読む際、調和が取れていないと感じ、別の音に変えて読んだ。これを「叶音」という。「叶」とは調和するという意味である。彼らは古人も音を変えて読んだのだと思っていた。しかしこれは明らかな誤解である①。清代の学者・顧炎武らの研究によると、『詩經』の各字にはそれぞれ決まった読音があった。ただ先秦の字音は別系統で、後代の語音システムとは異なったのである。先秦の語音システムに従って『詩經』を読めば、各韻脚はどれも自然に調和し、「叶音」を用いる必要はないのである。
段玉裁らは別の重要な事実を発見した。つまり、「諧声偏旁」と『詩經』の韻脚が一致していることである。段玉裁いわく、「同聲必同部」②。意味は、同じ「諧声偏旁」を持つ字は、必ず1つの韻部に属し、『詩經』の韻脚とも一致するということである。なぜなら、先秦の韻部は『詩經』の韻脚から概括されてできたからである。例えば「詩七月」六章の「瓜」という字と「壺」「苴」「樗」「夫」が押韻されていることで、「瓜」は「孤」のように読むべきであることが分かる。「瓜」が声符となっている「孤」「弧」「狐」なども「壺」「苴」などの韻母と同類であり、「瓜」自体の韻母が同じではないわけがないことが分かる。「諧声偏旁」という有力な材料を得て、先秦の韻部の研究はより緻密となった。
先秦古韻十一類二十九部
先秦古韻は十一類二十九部に分かれる。先秦の二十九個の韻部と『広韻』とを以下に対照させてみる③。
第一類 ə, ək, əŋ
之部第一 広韻「咍」と「灰尤」の三分之一④。
胚胎 始基 時期 母子 事理 鄙倍⑤ 紀載 史記⑥
職部第二 広韻「職德」と少数の「屋」韻字。
戒備 服食 惑慝 崱屴⑦
蒸部第三 広韻「蒸登」と少数の「東」韻字。
崩薨 升登 稱懲 能勝 冰凝 鄧馮 蹭蹬
第二類 əu, əuk
幽部第四 広韻「幽」と「尤」の三分之二、「蕭肴豪」の半分。
皋陶 綢繆 周遭 蕭條 流求 老幼 壽考 優游 憂愁 椒聊
覺部第五 広韻「沃」と「屋」の半分、「覺」の三分之一、少数の「錫」韻字。
鞠育 覆育 苜蓿 肅穆
第三類 au, auk
宵部第六 広韻「宵」と「蕭肴豪」の半分。
逍遥 招搖 號咷 窈窕 渺小 夭矯 嫖姚 驕傲 高超
藥部第七 広韻「藥鐸錫」の半分、「覺」の三分之一。
確鑿 卓犖 綽約 芍藥
第四類 o, ok, oŋ
侯部第八 広韻「侯」と「虞」の半分。
傴僂 句漏 侏儒 須臾
屋部第九 広韻「燭」と「屋」の半分、「覺」の三分之一。
沐浴 瀆辱 觳觫 嶽麓 剝涿
東部第十 広韻「鍾江」と「東」の半分。
童蒙 朦朧 崆峒 共工 葱蘢 從容 洶湧 邦封
第五類 ɑ, ak, ɑŋ
魚部第十一 広韻「魚模」と「虞麻」の半分。
祖父 吾予 狐兔 吳楚 胡盧 孤寡 租賦 補苴 古雅 舒徐 居處 除去 嗚呼
鐸部第十二 広韻「陌」と「藥鐸麥」の半分。
落魄 廓落 摸索 絡繹 赫奕
陽部第十三 広韻「陽唐庚」。
倉庚 滄浪 蟷螂 兄長 卿相 光明 剛強 徜徉 汪洋 蒼茫 彷徨 商量 景象
第六類 e, ek, eŋ
支部第十四 広韻「佳」と「齊支」の半分。
睥睨 支解 斯此 佳麗
錫部第十五 広韻「麥昔錫」の半分。
蜥蜴 辟易 滴瀝 策畫
耕部第十六 広韻「耕淸靑」。
蜻蜓 精靈 聲名 崢嶸 丁寧 俜停 輕盈
第七類 ei, et, en
脂部第十七 広韻「脂皆齊」の半分。
階陛 麂麋 次第 指示
質部第十八 広韻「至質櫛屑」、「黠」の半分、少数の「術」韻字。
垤穴 一七 實質 吉日
眞部第十九 広韻「眞臻」、「先」の三分之二、少数の「諄」韻字。
秦晉 天淵 神人 年旬 新陳 親信 演進
第八類 əi, ət, ən
微部第二十 広韻「微」、「灰」の三分之二、「脂皆」の半分。
依稀 徘徊 崔嵬 虺隤 悲哀 瓌瑋 玫瑰 水火
物部大廿一 広韻「術沒迄物」と「未」の半分。
鶻突 密勿 鬱律 畏愛
文部大廿二 広韻「諄文欣魂痕」と「眞」の三分之一。
晨昏 根本 渾沌 悶損 困頓 逡巡 紛紜 存問
第九類 a, at, an
歌部第廿三 広韻「歌戈」と「麻支」の半分。
羲媧 綺羅 嵯峨 蹉跎 阿那 覊縻
月部第廿四 広韻「祭泰夬廢月曷末鎋薛」と「黠」の半分。
豁達 契闊 蔽芾 滅裂 決絕 折閱 雪月
寒部第廿五 広韻「元寒桓刪山仙」と「先」の三分之一。
旦晩 顏面 燕雁 關鍵 餐飯 寒暄 完全 片段 判斷 簡慢 閒散 團欒 輾轉 攀歎 汗漫 泮渙 燦爛 叛亂
第十類 əp, əm
緝部第廿六 広韻「緝合」と「洽」の半分。
集合 雜沓 什襲 執拾
侵部第廿七 広韻「侵覃冬」と「咸東」の半分。
陰暗 深沉 侵尋 浸淫 衾枕 吟諷 降減 隆冬
第十一類 ap, am
葉部第廿八 広韻「盍葉帖業狎乏」と「洽」の半分。
蛺蜨 唼喋 躞蝶 渉獵
談部第廿九 広韻「談鹽添嚴銜凡」と「咸」の半分。
沾染 瀲灔 巉巖 纔暫
同類の韻部は主要元音が同じのため、互いに通じ合っている。中でも最も密接な関係があるものは、「之」と「職」、「幽」と「覺」、「宵」と「藥」、「魚」と「鐸」、「支」と「錫」である。上で述べた「同諧声偏旁必同部」はあくまで原則である。実際は、同類の韻部であれば、「諧声偏旁」も互いに通じる。例えば「蕭」は「幽」部、「肅」は「覺」部、「遺」は「微」部、「貴」は「物」部、「難」は「寒」部、「儺」は「歌」部、「愚」は「侯」部、「顒」は「東」部に属している。これは字が作られた時代が『詩經』の時代よりも早く、小数の「諧声偏旁」と『詩經』の韻部とが一致していないためである。なぜなら、『詩經』時代の語音システムがすでに変化していたからである。
カールグレンは「諧声偏旁」の相通性の痕跡にこだわり過ぎて、「之幽宵支」4部のすべてと「魚」部の半分を入声韻(-g末尾)に、「脂微」2部⑧と「歌」部の一部を-r末尾に推定し、残りの「侯」部と「魚歌」部の一部を元音末尾の韻、いわゆる「開音節」とした。世界中のいかなる言語の開音節もこのように貧弱なものはない⑨。常識で判断しさえすれば、カールグレンの誤りは明らかである。このような推断は全くの形式主義である。また上古韻文の力強い韻律の利点をも失わせるものである。上古の語音がこのようではなかったことを証明する十分な理由がある。
次に、カールグレンは上古韻部を中古韻攝と似通ったものだとみなしていた。これも理屈に合っていない。例えば『詩經・關雎』では「采」と「友」とで韻を踏んでいる。カールグレンはこれらをts'əg, g
ŭgと推定しているが、古代の詩人の押韻がこれほど調和しないものだったのだろうか。『邶風・擊鼓』では「手」と「老」を同韻にしているが、カールグレンはこれらをɕ
ôg, lôgに推定している。なぜ「友」の字を読音の近い「手」と押韻させず、読音が遠い「采」の字などと押韻させているのだろうか。『詩經』の韻は非常に調和しており、そのため『詩經』の韻脚は厳格なもので、決してカールグレンが推定したようなものではないということがいえるはずである。カールグレンの形式主義は、上古の韻部を『広韻』の206韻よりもさらに複雑に推定したのである。これは全く主観的なものなのである。
2.上古の声調
上古の声調の問題についてみていこう。清代の学者は、この問題で意見が分かれている。顧炎武は、古人は「四声一貫」だとしている。上古の声調は定まっていなかった⑩という意味である。段玉裁は古人には「去声」がなかった⑪とし、黄侃は古人には「平入」の二声しかなかったとしている⑫。王念孫と江有誥は古人には「四声」があったが、上古の四声は後代の四声と相一致しないだけだと考えた。私は、王と江の意見が基本的に正しいと考えている。先秦の声調は特定の音が高いことを特徴とする以外、「舒促」の2大類に分かれていた。ただし、さらに長短に分かれた。「舒而長」声調が「平声」で、「舒而短」が「上声」である。「促声」は長短にかかわらず一律に「入声」である。「促而長」は「長入」、「促而短」は「短入」である。段玉裁と王国維の考証によると、上古の陽声韻には「去声」がなかった、言い換えると「長入」がなかったという。「長入」は実際は-t, -kの2類である。-p類には長短の区別がない。声調の区分に関する理論は次の事柄に依拠している。(1)段玉裁の説に従うと、古音の「平上」が1類、「去入」が1類だった。詩の韻の調和から見ると、「平上」、「去入」はそれぞれ常に相通じていた。これがつまり声調を「舒促」の2大類に分ける理由である。(2)中古の詩人は声調を「平仄」の2類に分けた。詩句の中で「平仄」が交替するのは、実質上、西洋の「長短律」と「短長律」に似ている。このことから、古代の声調には音の長さという音素が含まれていたことが分かる⑬。
3.上古の声母
上古の声母の研究は、上古の韻部の研究よりも難しい。なぜなら声母の問題では、上古の韻文を根拠とすることができないからである。残されたのは「諧声偏旁」だけである。大雑把にいうと、おおよそ「同声符」のものは、かならず「同声類」(「喉音」など)に属すが、必ずしも同一の「声母」に属すわけではない(「廣」と「黃」では、「廣」は「見」母に、「黃」は「匣」母に属す)。「諧声偏旁」以外に補助的な証拠もある。例えば異文(「伏羲」「庖羲」)、古讀(「古讀豬如都」「古讀廛如壇」)、声訓(「邦,封也」「法,逼也」)などである。
上古の声母はおおむね六類三十二母に分けられる。先秦の三十二声母と中古の三十六字母を以下に対照させて列挙する。
先秦三十二声母
第一類喉音
見母第一 k 中古の「見」。
疆界 干戈 綱紀 恭敬 攻擊
溪母第二 k' 中古の「溪」。
屈曲 寛闊 崎嶇 繾綣 哭泣 肯棨
羣母第三 g' 中古の「羣」。
強勍 黔黥 琴棋 橋渠 窮極 近及 踡跼
疑母第四 ŋ 中古の「疑」。
鵝雁 涯岸 言語 吾我 阢隉 頑嚚
曉母第五 x 中古の「曉」。
歡欣 呼喚 喜好 馨香 煦旭
匣母第六 ɣ 中古の「匣」母と「喩」の三等。
雲雨 園囿 禍害 營衛 玄黃 煒煌 浩汗 會合 云謂
影母第七 ○ 中古の「影」。
鴛鴦 姻婭 優渥 委宛
第二類舌頭音
端母第八 t 中古の「端知」。
登陟 雕琢 顛倒 單多 對答 敦篤
透母第九 t' 中古の「透徹」。
超卓⑭ 挑剔 涕唾 推托
餘母第十 d 中古の「喩」の四等。
逸豫 蚰蜒 游移 踴躍 愉悅 孕育 誘掖 歟耶
定母第十一 d' 中古の「定澄」。
唐棣 杕杜 蜩螗 荼毒 獨特 徒弟 堂宅 長大 洞達
泥母第十二 n 中古の「泥娘」。
男女 泥濘 惱怒 黏膩
來母十三 l 中古の「來」。
流離 聊賴 零亂 襤褸 琳琅 凛冽
第三類舌上音⑮
章母第十四 ţ 中古の「照」の三等。
沼沚 終止 祝咒 燭照 斟酌 指掌 震懾
昌母第十五 ţ' 中古の「穿」の三等。
充斥 昌熾 出處
船母第十六 ɖ' 中古の「牀」の三等。
乘射 唇舌
書母第十七 ɕ 中古の「審」の三等。
舒適 舍室 賞識 身手
禪母第十八 ʑ 中古の「禪」。
匙杓 誰敦
日母第十九 ņ 中古の「日」。
柔軟 爾汝 孺弱 如若 日熱
第四類歯頭音
精母第二十 ts 中古の「精」。
蹤跡 酒漿 尊爵
淸母第廿一 ts' 中古の「淸」。
慘惻 倉猝 催促
從母第廿二 dz' 中古の「從」。
存在 寂靜 絕盡
心母第廿三 s 中古の「心」。
迅速 霰雪 思想 消息
邪母第廿四 z 中古の「邪」。
嗣續 習俗 兕象
第五類正歯音
莊母第廿五 tʃ 中古の「照」の二等。
斬斮 爭責
初母第廿六 tʃ' 中古の「穿」の二等。
參差 冊策
崇母第廿七 dʒ' 中古の「牀」の二等。
鋤饞 事狀 柴棧
山母第廿八 ʃ 中古の「審」の二等。
疏數 生產 師史
第六類唇音
幫母第廿九 p 中古の「幫非」。
蔽芾 觱發 褒貶 蝙蝠 斑駁
滂母第三十 p' 中古の「滂敷」。
芳菲 翩翻 偏頗 紛披
並母第卅一 b' 中古の「並奉」。
屏藩 匍匐 蓬勃 旁薄
明母第卅二 m 中古の「明微」。
明滅 泯沒 蒙昧 微末 密勿 文莫⑯
カールグレンの上古声母の推定にも形式主義が現れている⑰が、ここでは詳しく述べるつもりはない。
古音の復元に関して、ある重要な原則があるので述べる。
語音のすべての変化は制約性の変化である。つまり、完全に同じ条件下でなければ同様の発展はしないということである。逆にいうと、完全に同じ条件下であれば、異なる発展の可能性はなく、分化する可能性もない。傑出した古音学者の江有誥もこの点が徹底していない。彼の著作である『詩經韻讀』の中では、「友」の音は「以」、「喈」の音は「飢」、「家」の音は「姑」、「泳」の音は「養」、「駒」の音は「鉤」、「角」の音は「谷」、「夜」の音は「豫」、「牙」の音は「吾」、「革」の音は「棘」、「下」の音は「戶」、「三」の音は「森」、「
」の音は「怡」、「來」の音は「釐」、「闊」の音は「缺」などとされている。「友」と「以」が上古では完全な同音であると仮定すると、完全に同じ条件下では、後世の分化は不可能になってしまう。これは歴史比較法の最も重要な原則であり、我々はこの原則に違反してはならないのである。
この原則は一部の個別の不規則な変化を否定するものではない。ある種の外的要因によって、「ある字は別の読み方に変わったが、体系全体は巻き込まなかった」というような状況もあるのである。ただし、それは例外に過ぎないのであって、我々はこのことによって上述の原則を疑うことはできないのである。
注釈
①例えば朱熹の『詩集傳』では、『行露』二章の「家」の叶音を「谷」、三章の「家」の叶音を「各空反」、「常棣」八章の「家」の叶音を「古胡反」とし、「桃夭」などの「家」は叶音を用いないとしている。これは誤りである。清代の儒家の研究結果によると、「家」の古音は「姑」で、どこでも「姑」と読むのだという。「姑」は完全に正しいわけではないが、叶音の説よりも有力である。
②段玉裁『六書音韻表』(蘇州保息局本)P22。
③「平声」韻を挙げて「上声」と「去声」も包括する。「祭泰夬廢」の4韻には「平声」がないため特に挙げている。
④「半分」または「三分之一」はおおよそである。字が少ないので特に挙げていない。例えば『広韻』の「脂侯」の2韻にはいずれも少数の「之」部の字がある。ここでは挙げていない。
⑤「鄙」は『広韻』では「脂」韻に属する。
⑥これらの例字は2字が相関しており、憶えやすいので挙げている。すべてが「聯緜字」なのではない。これらから「諧声偏旁」に従ってその他の多くの字の韻部を推定することができる。ただし、各組の字は基本的に意味に関連があるので、第九節の「語音と語彙の関係」を参照するとよい。
⑦崱屴,高竦貌。『文選魯靈光殿賦』を参照のこと。
⑧カールグレンの見解では、「脂微」は2部に分かれない。
⑨それとは逆で、例えば彝語(ハニ語など)の開音節は特に豊富で、閉音節は特に少ない。
⑩上古の声調は定まっていなかったというのは正しくない。上古の字に一定の声調がなかったと仮定するなら、中古の字に声調が定まっていたのはどのような条件によって出来上がったのだろうか。
⑪段玉裁が古くは「去声」がなかったと考えたのは、『詩經』の中で「去入」が押韻され、さらに「諧声」字が「去入」で通じていたことによる。実際は、もしも同一「声符」の「去入」声字が完全な同音(「試」「式」など)だとしたら、後代の分化現象を説明することができなくなる。
⑫黄侃が上古には「平入」の二声しかなかったと考えたことは、実質上、上古の声調の存在を否定したことに等しい。「入声」は-p, -t, -kで終わり、これによって「平声」と区別されるが、上古に「平入」の二声しかないと考えたなら、現代北方語のような「音同調不同(媽麻馬罵)」の字を区別することができなくなる。
⑬『公羊傳・莊公』二十八年に、「春秋伐者為客,伐者為主」とあり、何休の注では「伐人者為客,讀伐,長言之,齊人語也;見伐者為主,讀伐,短言之,齊人語也」とある。「伐」字を「長言之」とは「長入」で読むということ。「短言之」とは「短入」で読むということである。高誘が注した『淮南子』と『呂氏春秋』に「急氣言之,緩氣言之」とあるのも、恐らくは「短調」「長調」を指しているのであろう。
⑭「卓」は「知」と「徹」の2母に属する。
⑮錢大昕は古くは舌上音はなく、上古の「知徹澄娘」は「端透定泥」と合流することを証明した。しかし上古には別の舌上音があった。それは後代の「照」系の三等字である。それらは舌頭音に近い。
⑯『論語・述而』に「文莫吾猶人也」とある。「文莫」はすなわち「密勿」「黽勉」である。
⑰カールグレンの上古声母問題における形式主義は次に表れている。(一)「餘」母(「喩」四等)を2類に分け、1つをd、もう1つをzとした。彼の根拠は「諧声偏旁」で、例えば「羊」声には「祥」があり、「祥」は中古のz-であるため、上古の「羊」はz-(上古の「祥」は逆にdz-)とした。実際は「羊」には「姜」(k-)もあるが、これはどのように説明するのか。「甬」声には「通」(t'-)と「誦」(z-)とがあるが、2類に分けるとすれば、「甬」声の字はdなのかzなのか。(二)彼は「莊初崇山」をそれぞれ2類に分け、1つを上古のts, ts', dz', s(「精淸從心」に合流させる)とし、もつ1つをtʂ, tʂ', dʐ', ʂとした。彼の分類基準は『広韻』の韻目によっており、おおよそ「江臻刪山咸銜庚耕(およびその入声)」「佳皆肴」などの韻に属す字は、いずれも「精淸從心」に編入されるとした。実際、彼はこれら韻には「精」系の一等字がないため、「照」系の二等である「莊初崇山」をts, ts', dz', sと推定しても衝突は起こらないとした。このような便宜的な方法は科学性に欠ける。例えば「數」には三音ある。1つは「遇」韻、1つは「麌」韻、もう1つは「覺」韻であり、これはsと推定するのか、それともʂなのか。(カールグレンは前の2つをsl-、最後の1つをs-と推定して、この問題の解決にはなっていない。)(三)彼は「餘」母の一部の上古音をd、このdは「不送気(無気)」の濁音だと推定し、いくつかの「不送気」の濁音を仮想的に作り出して相互に対応させた。また「雲」母の上古音はg、「禪」母はɖ、「邪」母はdzと推定して整った状態を作り上げた。このような推論は全くの主観的なものである。(四)最後に彼は上古声母システムの中に一連の「複輔音」を推定した。それも「諧聲」に基づいて推測したものである。例えば「各」声には「路」があるが、彼は上古に「複輔音」のkl-とgl-があると推測、これから類推してxm-, xl-, fl-, sl-, sn-などを推定した。「諧声偏旁」は声母においては変化が一様ではないことを彼は知らなかった。このような方法によると、「複輔音」が非常に多くなる。例えば「樞」「從」「區」声についてみると、彼は「樞」をkţ'-とは推定していない。恐らく彼も全てにおいてつじつまを合わせるのは難しいと感じたのだろう。結局、カールグレンの中古漢語の語音研究には業績があったが、上古漢語の研究はそれほどではなかったといえる。