トップ > 中国語資料室 > 漢語史稿

漢語史稿

上古~中古の語音発展
第十二節 上古声母の発展

前の第十節と第十一節では、中古と上古の語音システムを述べた。本節からは上古の語音システムが如何に中古音に発展し、中古の語音システムが如何に現代音に発展したのかを説明したい。

本節では、まず上古声母の発展を論じる。4つの点に分けている。

 
- もくじ -
(一)ɣの分化
(二)t, t', d'の分化
(三)dの脱落
(四)ţ, ţ', ɖ', ņの発展

(一)ɣの分化

『切韻』時代までは、「雲」母(「喩」の三等)はまだ「匣」母に属していたが、唐末の守溫の三十六字母では「雲」はすでに「喩」に合流しており、この頃から「雲」母が「匣」母の中から分化したことが分かる。つまり、

のようにである。『切韻』時代の「匣」母には三等がなく、「喩」母の三等と相互に補足し合っている。曾運乾氏、羅常培氏、葛毅卿氏らのそれぞれの研究によって、「雲」母は6世紀初めには「匣」母と一体だった事実が多くの面から十分に証明された。上古の史料から見ると、「雲」と「匣」は声母も一にしている。「諧声偏旁」から見ると、「雲」と「匣」はしばしば相互に調和されている。以下は「諧声偏旁」が「雲」母に属し、「諧字」が「匣」母である例である。

(華) 爰緩 云魂

以下は「諧字」が「雲」母で「諧声偏旁」が「匣」母の例である。

盍饁 号鴞 完院 華燁

以下は同じ「諧声偏旁」を持ち、中古では「雲」「匣」母に分かれた例である。

垣桓 運渾

当然「雲」母は「見溪羣疑」とも調和するが、これによって上古では「喉音」の一類であったことがより証明され、さらに『玉篇』と『經典釋文』の反切では「雲」と「匣」が未分化であったことから見て、上古の「雲匣」は1つの声母だったと確信できるのである。

「雲匣」分化の原因は、最高部位の韻頭ĭが声母ɣに影響してそれを脱落させ、同時にこのĭがさらに高化して「輔音」jと韻頭ĭが合わさったものとなった。

現代の一部方言も原始「雲匣」が同母だったことを反映している。

現代呉方言では、「雲匣」の読音は同じである。2類の字は呉方言の中では一律にɦである。上海語がそうである。(上字が「匣」、下字が「雲」)

 (丙)「舌音」
喉:尤 ɦəu : ɦiəu恆:盈 ɦəŋ : ɦiŋ
號:耀 ɦɔ : ɦiɔ 恆:盈 ɦuoŋ : ɦuoŋ(同音)
會:衛 ɦue : ɦue(同音)

現代粵語(広東語)では、「合撮」両呼の「雲匣」母の字は基本的に同じである。例えば広州語である。(上字が「雲」、下字が「匣」)

衛惠 雲魂 運混 王黃 垣桓 圓玄 院縣 越穴

「斉歯音」の一部にも同じになるものがある。

炎嫌 焉賢

現代北方語では状況が異なる。「雲」母と「匣」母は分かれている。ごく少数の例外として、「雄」「熊」は『広韻』では「羽弓切」で「雲」母に属すが、現在の北京語ではiuŋではなくɕiuŋである。これも上古語音システムの名残りかもしれない。


(二)t, t', d'の分化

錢大昕は「古無舌上音(古には舌上音が無かった)」と言い、上古には「知徹澄娘」がなく、「端透定泥」しかなかったとしている。この結論は全く信用できるものである。まず「娘」母について論じるのは避けよう。なぜなら前の第十節でも述べたように、中古においても「泥娘」の区別は人為的なものであるからである。「知徹澄」の3母は上古において「端透定」に分類される。これは4つの点から証明が可能である。

(甲)「諧声偏旁」が唯一の根拠ではないものの、主な根拠の1つである。以下は「同声符」の字が「知徹澄」と「端透定」の共通性を表わしている例である。

端知:都豬 點沾
透徹:湯暢
定澄:塗除 濤籌 團傳 獨濁 動重

(乙)上古の史料の中の異文の一部からも証明できる。例えば『春秋』の陳完は『史記』の田完である。『論語』の申棖(音「橙」)は「史記」の申棠である。この類の例は非常に多い。

(丙)古人の「讀若」と反切からも「知端」両系の共通性を見出せる。例えば『説文』で「冲讀若動」とある。『爾雅』郭璞注には「長,丁丈切」「姪,徒結切」とある。『切韻』時代になると「端」系は2類に分化していたが、反切の「又音」ではなお古読を残しているものもあった。例えば、

褚,張呂切,又丁呂切。
傳,知戀切,又丁戀切。
長,知丈切,又丁丈切。
噣,陟救切,又丁救切。
綴,陟劣切,又丁劣切。

(丁)最後の、しかも最も重要な一点は、現代方言の証拠である。閩北方言と閩南方言にはいずれも「端知」両系が一体であるという原始的な状況が強く反映されている。以下は「知」系をt, t'に読む例である。

知母:ti 置致 ti 朝 tiou, tiɑu 罩 tau 肘 tiou, tiu 展 tiɑŋ,tiɑn 珍 tiŋ, tin 鎭 tiŋ, tin 張 tyoŋ, tioŋ 著 ty, tu 竹 tœyk, tiɔk 豬 ty, tu 追 tui 中 tœyŋ, tioŋ
徹母:恥 t'i 徹撤 tiek, tiat 抽 tiou 暢 t'yoŋ, t'ioŋ
澄母:治 ti 姪直値 tik, tit 宅 t'ɑik, te 召 tiou, tiɑu 趙 tiou, tio 陣 tiŋ, tin 丈 t'uoŋ, tioŋ 長 tyoŋ, tioŋ 鄭 tɑŋ, tĩ 遲池 ti 朝潮 tiou, tiɑu 綢 tiou, tiu 籌 t'iou, tiu 纏 tiɑŋ, tiɑn 塵 tiŋ, tin

閩北方言と閩南方言以外にも、客家語の中の個別の「知」系字にも舌頭音が残されている。例えば「知」はtiと読む。しかし系統的ではないので詳しくは述べない。

上古の「端透定」3母の中古での分化は以下のようである。

分化の時代はおよそ6世紀である。『洛陽伽藍記』では「宅第」を「雙聲」にしている。分化の原因は韻頭のĭまたはeの影響である。声母が舌面元音の同化を受け、それ自身が舌面輔音(ţ , ţ', ɖ')に変化した。例えば「張」の字の変化の過程はtĭɑŋ→ţĭaŋ、「濁」はd'eŏk→ɖ'ɔkとなる。


(三)dの脱落

三十六字母中のいわゆる「喩」母は、『切韻』では厳格に2類に分けられている。すなわち「雲」母(「喩」三等)と「餘」母(「喩」四等)である。2つの源泉は全く異なっている。現代の漢越語(ベトナム語で漢語の中から単語を借用したもの)では、非常にはっきりとこれらを区別している(詳細は第二十節を参照のこと)。「諧声」の系統から見ても、この2つの大別が明白に見て取れる。「餘」母の字の大部分と「端透定」とは調和し、一部分は「邪」母と調和することから、その上古音はdであったことが分かる。以下は「諧声」の例字である。(上字が「定」、下字が「餘」)

台怡 代弋 桃姚 翟耀 荼余 鐸懌 餳陽 兌悅 荑夷

上古のdは中古になると脱落した。残ったのは半元音jで始まる字である。例えば「怡」はdĭ→jĭ、「陽」はdĭɑŋ→jĭaŋとなった。漢語についていえば、「不送気(無気)」の破裂音は比較的容易に脱落する。現代広東台山方言の「刀」はtou→ouとなり、雲南玉渓方言の「高」はkau→auとなった。


(四)ţ, ţ', ɖ', ņの発展

錢大昕が「古無舌上音(古には舌上音が無かった)」と言ったのは、単に上古には「知徹澄娘」がなかったのだという意味である。舌面破裂音のţ, ţ', ɖ'と舌面鼻音のņについては、上古にもあった。「照穿牀」の三等、すなわち「章昌船」の3母の上古音がţ, ţ', ɖ'で、「日」の上古音がņである。

錢大昕は「古人多舌音,後代多變齒音,不獨知徹澄三母為然(古の舌音の多くのは、後世、歯音に変化し、「知徹澄」の3母だけではなくなった)」という。これは「照穿牀」などの字が上古にも多くが舌音だったことを意味している。ただし、それらは「照」系の三等字だけに限ってである。上古語音システムでは、「照」系三等は「端透定」に近く、二等は「精淸從」に近く、舌音と歯音の2大系統を形作っていた。錢大昕が挙げた「古讀“舟”如“雕”,讀“至”如“疐”,讀“專”如“耑”,讀“支”如“鞮”」などは、いずれも「照」系三等字であり、二等字は含まれていない。

「照」系三等の声母とt, t', d'は近かったというだけで、それらがt, t', d'であったと考えることはできない。現代閩方言でも「照」系の字はt, t'とは読まないことも、この事実を裏付けている。「照」系三等が上古ではt, t', d'だったと仮定すると、中古の「知」系の字と同じになってしまい、後世の分化を説明することができなくなる。従って、それらとt, t', d'とは近いだけであって同じではないと考えなければならないのである。そうなるとţ, ţ', ɖ'であるとしか考えられなくなる。

「諧声」システムから見ると、「照」系三等と中古の「知」系の字は完全に共通している。また、中古の「端」系とも少し通じ合う。以下は「諧声」の例字である。

知章:侜舟 誅朱 駐注 豬諸 哲折 致至 沾占 摯執
徹昌:超弨 黜出
端章:雕周 冬終

「章昌船」の上古から中古への語音発展は下の通りである。

ţ → tɕţ' → tɕ'ɖ' → dʑ'

このような舌面破裂音から舌面破裂摩擦音への変化は、発音部位は不変で、発音方法だけの変化である。「書禪」の2母と「章昌船」はワンセットであるが、「書禪」は上古のɕ, ʑから中古になっても変化していない。「章昌船」の上古ţ, ţ', ɖ'は、中古ではtɕ, tɕ',dʑ'となった。これらは常に「書禪」と同部位の関係を維持していた。「知」系は中古ではţ, ţ', ɖ'で、同時代の「照」系三等はすでにtɕ, tɕ',dʑ'に変化していたので、衝突は起こらないのである。

章炳麟の『古音娘日二紐歸泥說』では、上古には「娘日」の2母がなかったとしている。上古に「娘」母がなかったことは肯けるが、「日」母までがなかったのだろうか。

「諧声」システムから見ると、「日」母と「泥」母の関係は非常に密接である。例えば、(上字が「泥娘」、下字が「日」)

恧而 乃仍 溺弱 懦儒 女汝 奴如
孃讓 內芮 煗(煖)輭(軟) 膩貳

しかし、「照」系三等の上古音を単純にt, t', d'と同じだとすることはできないのと同様、「日」母の上古音も単純にnだとしてはならない。nに近い音であるに過ぎないのである。そうなるとņ, ņの舌面鼻音である。ţ, ţ', ɖ'の発音部位と同じであり、ţ, ţ', ɖ', ņがちょうどt, t', d', nと対を成すのである。中古の語音システムについていうと、「日」母は「照」系三等と最も深い関係にある。

「日」母の上古から中古への発展は以下の通りである。

ņ → ņj → ņʑ

韻頭ĭによる影響で、ņの後には舌面の半元音jが生まれた。後世、このjが摩擦性をますます強め、輔音ʑに変わった。ņʑは2つの輔音ではなく、1つのまとまった音である。通常の破裂摩擦音(塞擦音)の理屈と同じである。

現代の多くの方言も「日」母をņと読む原始の姿を映し出している。以下は呉方言(上海)、客家方言(梅県)、粵方言(広西南部)の「日」母の常用字の例である。

例字上海(白話)梅県広西南部
ɲinɲinɲan
ɲiʔɲitɲat
ɲiʔɲætɲit
ɲiɔʔɲiukɲiuk

閩北方言にも痕跡が残っている。例えば福州の「日」はnik、「肉」はnykなどと読む。


注釈
①曾運乾『切韻五聲五十一紐考』(東北大學季刊第一期)、羅常培『經典釋文和原本玉篇反切中的匣于兩紐』(歷史語言研究所集刊八本一分)、葛毅卿『on the Consonantal Value of 喩一 class words』(通報1932)と『喩三入匣再證』(歷史語言研究所集刊八本一分)。
②『広韻』では「鴞,于嬌切」。
③「東」韻とその「入声」の「合口」字は完全な「合口」ではないため例外である。
④呉方言と粵方言では、「匣」母は「雲」母(「喩」三等)とだけでなく、「餘」母(「喩」四等)とも同化する。ここでは「餘」母の問題には言及しないので述べない。
⑤「集韻」では「胡弓切」と改められている。我々は「集韻」の記載は後代の読音だと考えていた。しかし実際は上古に「雲匣」を分けないのであれば、「羽弓切」と「胡弓切」は同じことである。『広韻(切韻)』が古い反切、「集韻」が新しい反切を用いたというだけなのである。
⑥「陳」「田」の古音はいずれも「眞」部であり、きわめて近い。後世の人は「陳完」が斉に奔った後、もとの国号を名乗ることを嫌い、「陳」の字を改めて「田」氏にしたと考えた。本当に改姓したのだとしても、文字を変えただけであり、韻頭の微々たる変化に過ぎなかったのである。
⑦2つの音を注してあるものは、前者が閩北で、後者が閩南である。閩北は福州を標準とし、閩南は廈門(アモイ)を標準とする。
⑧ごく少数の字は不規則に変化している。例えば「炎」「矣」「惟」は上古の「諧声」システムでは「餘」母に属すが、中古になると「雲」母に変化した。「遺」「營」は上古「諧声」システムでは「雲」母だが、中古では「餘」母となっている。カールグレン『中國文字學』P283, P384, P271, P262, P348を参照のこと。
⑨錢大昕著『十駕齊養新錄』P30~31。
⑩章炳麟は上古声母を二十一紐に分け、「精淸從心邪」を「照穿牀審禪」に入れたが、これは大雑把過ぎる。黃侃は上古声母を十九紐に分け、「照」系三等を「端」系に、二等を「精」系に入れた。この点では黃侃は彼の師にまさった。
⑪『國故論衡』の「章氏叢書」本のP31~33を参照のこと。
ɲņの発音部位は非常に近い。

©2007 北京紅楼通信
出版:中華書局 / 原著:王力 / 翻訳:北京紅楼通信