娘が嫁ぐ時の母親の心情は言葉では言い表し難いものですが、一方娘の方は新婦になる喜びの中で母親の気持ちをないがしろにしがちです。
私が嫁いだ時も普通の新婦同様、頭の中は何を着ようか、どんな靴を履こうか、髪はどう結おうか、どんなイヤリングを戴けようかと、一方で「絶対に大袈裟な事はしない」をもっとうに、式のあらゆる細かい点に頭を絞っていました。母は最初は先頭に立って全ての指揮を自分が執るような気構えを見せていましたが、式が間近になると一番後方に控え、式の細かい点をひとつひとつチェックするのでした。
当時私は、母は只私の為に悲しむ暇もないくらい忙しくて、昔のように娘が嫁ぐ時母親が泣き崩れるというようなシーンはもうほとんど見られないものだと思っていました。しかし私の親友馨がお嫁に行くことになり、私と馨の母親とで一緒に馨の式の準備をして、娘が嫁ぐ時の母親とはどんな気持ちなのかを初めて知りました。
馨はその期間、仕事以外は専ら買い物で、毎日私にくれる電話は全て買い物の最新戦果報告でした。馨は未来の新郎が運転するサンタナに乗って、ひと月でなんと数百元ものガソリン代を使いました。馨の母親も買い物に行くのに懐に定期を入れて混み合うバスに揺られ、ひと月で革靴一足を履きつぶしました。馨曰く、母親が買って帰るものはいつも馨と将来の夫があれこれ買った中で買い忘れていて、しかもとても大事なものばかりで、とても不思議に思ったそうです。
馨の唯一の兄は日本に留学していて、馨の結婚式には帰って来れず、電話で妹にお祝いを言い、母親を労っていました。毎回馨の母親は電話口の息子に「やっと家から追い出せた!あの子にはご飯を作ってやるのももういや!」と言っていたそうです。そう言いながらも毎回喉をつまらせながら電話を切っていたそうです。馨の母親は当時、私に会うたびに「あの子を見てきて20数年、本当にもう見飽きたわ!」――私は知りました。娘が嫁ぐ時、母親は自分の体面上いつも反対の事を言うのだと。
馨の式の日がやって来ました。新婦に化粧をするため、普段は寝坊スケの私までもが前例を破り早起きしてスタイリストを引き受けに出掛けました。その日北京はちょうどその冬三度目の雪で、車も速く走れず、馨の家に着いた時は約束の時間より30分も遅れていました。ドアを開くとすでに馨の母親はとても焦った表情をしていて、私が入るや否やまた忙しく動き始めました。飲み物だのアメだの勧めながら、口は忘れずに部屋中を歩き回る馨に早く化粧台の前へ行って座りなさいと叫んでいます。馨の髪のセットにたっぷり2時間半も費やし、その間馨のどこやそこやの友人がしきりに電話で“邪魔”を入れ、それを全て馨の母親が出ては相手が猫だろうが犬だろうが一様に「馨は化粧中」の5文字で片づけていました。その口調はあたかも「馨は人民大会議中」とでも言っているようでした。
私は新婦の付き添いとして馨と同じ車に乗り込みました。ドアを閉め、さあ出発という時になって馨の母親が後ろから追いかけて来たので、私は何か“最高司令”でもあるのかと急いで窓を開けました。車の窓から私は靴の箱ほどの大きさの箱を手渡され、馨が車を降りた時この中身を馨にふりかけるよう頼まれました。車が出た後箱を開けて見ると、中には乾燥して紫色になった薔薇の花びらがいっぱい入っていました。馨は後部座席から「それは2年間新郎がうちに来るたびに贈ってくれた薔薇の花で、毎回花が落ちた後母さんが大切にベランダで赤い薔薇1輪1輪を風干しにしてたまったのが箱いっぱいになったものなの」と説明してくれました。それを聞いてもとは軽いはずの箱が急に重くなったような気がしました。
馨が車を降りた時、私は約束通り箱の中の花びらを馨の頭や体にふりかけました。これらもう変色してしまった古い花びらは、迎えに出た子供たちが新婦に吹き付ける今時のカラースプレーの中にあっては泥臭くて古臭く見えますが、でもこの中に入っているのは1人の母親の娘に対するあんなにも複雑で深い愛情だということを誰が想像できるでしょうか?遠くに、私は老婆の視線が私の手の動きとともに動いているのを見ました。幸福と興奮の嵐の中の新婦は、人の波に揉まれながら進んで行きました。彼女の後ろの真っ白い雪の地面の上のあの風干しの紫の花びらが一段と眩しく目に残りました。