トップ > 魏志倭人伝を読み解す > 行程 | 習俗 | 国 | 大陸外交
![]() | 『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』 岩波文庫 |
*景初二年六月,倭女王遣大夫*難升米等詣郡,求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏將送詣京都。
訳
景初二年六月、倭の女王は大夫難升米らを帯方郡に遣わし、天子への朝貢を求めた。太守劉夏は事務官を派遣してこれらを都(洛陽)に送った。
注
| 景初二年: | 景初三年(239年)の誤り→考証(1)。→魏の元号 |
|---|---|
| 難升米: | ナンショウマイ(人名)。「難:那干切=nan」、「升:識蒸切=sho:」、「米:莫禮切=mai」。 |
| 太守: | 郡の長官。後の文に「帶方太守劉夏」とあるので、劉夏は帯方郡の長官。 |
リンク:ウィキペディア - 魏
其年十二月,詔書報倭女王曰:制詔親魏倭王卑彌呼。帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米、次使*都市牛利,奉汝所獻男生口四人、女生口六人、班布二*匹二*丈,以到。汝所在*踰遠,乃遣使貢獻,是汝之忠孝,我甚*哀汝。今以汝為親魏倭王,*假*金印紫綬,裝封*付帶方太守假授。汝其綏撫*種人,勉為孝順。汝來使難升米、牛利渉遠道路勤勞,今以難升米為*率善中郎將,牛利為*率善校尉,假*銀印青綬,引見勞賜遣還。今以*絳地*交龍錦五匹[一]、絳地*縐粟罽十張、*蒨絳五十匹、*紺青五十匹,*荅汝所獻*貢直。又特賜汝紺地*句文錦三匹、*細班華罽五張、白絹五十匹、金八兩、*五尺刀二口、銅鏡百枚、眞珠・鉛・丹各五十斤,皆裝封付難升米、牛利,還到*録受。悉可以示汝國中人,使知國家哀汝。故鄭重賜汝好物也。
[一]臣松之以為地應為綈。漢文帝著皁衣謂之弋,綈是也。此字不體非魏朝之失,則傳寫者誤也。
訳
同年十二月、詔書は倭の女王に対し曰く、「親魏倭王卑弥呼に詔書を出す。帯方郡長官劉夏は、汝が遣わした大夫難升米、副使都市牛利を使者に送らせ、汝が献上した男生口4人、女生口6人、班布二匹二丈が届いた。汝が遠方にあって尚使者を遣わし朝貢したことは、汝の忠孝の表れであり、私(天子)は深く思う。ここに、汝を親魏倭王とし、金印紫綬を与え、封をして帯方郡長官に託す。汝はそれをもって国内を綏撫し、孝順に勉めさせるべし。汝が送った難升米、牛利は遠路の労をいたわり、ここに難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉とし、銀印青綬を与え、謁見して労をねぎらってから復命させる。ここに綈地の交龍錦五匹、綈地の縐粟罽十張、蒨綈五十匹、紺青五十匹をもって、汝が献上した貢直の返礼とする。また特に汝には、紺地の句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、眞珠・鉛・丹各五十斤を賜り、封をして難升米、牛利に託すので、帰ったら受け取るべし。これら全てを汝の国民に示し、国家(中国)が汝に付いていることを知らしめるがよい。故に、重々しく良い品を賜るのである。」
[一](臣松の見解では)「地」は「綈」となるべきである。漢の文帝が着用した皁衣は「弋」と呼び、「綈」のことである。字体が違うのは、魏代にこの字が失われたのではなく、書写する人が誤ったのである。
注
| 都市牛利: | トシギョウリ。「都:當孤切=tu」、「市:時止切=shi」、「牛:語求切=ngiou」、「利:力至切=li」。 |
|---|---|
| 匹: | 9.648m。「説文」で「四丈也」。以下の「漢和辞典」にある「魏」代の「丈=2.412m」から計算。 |
| 丈: | 2.412m。「漢和辞典」で「魏」代の「丈」は2.412mとされる。 |
| 踰: | 「説文」で「越也」。よって「踰遠」は「遠い道のりを越えて」ということ。 |
| 哀: | 「説文」で「閔也」。 |
| 假: | 授与する。 |
| 金印紫綬: | 黄金製の印。紫綬は紫色の紐。紫は当時の中国では恐らく最高の位を表す色だろう。 |
| 付: | 「説文」で「與也。从寸持物對人」。 |
| 種人: | 同種人、つまり倭人、倭国の民のこと。 |
| 率善中郎將: | 「中郎將」は官名で、前漢時代には皇帝の親衛隊「五官中郎將」があった。その地位は「將軍」に次ぐ。 |
| 率善校尉: | 「校尉」は「宮城を守る武官」。 |
| 銀印青綬: | 銀製の印。青は紫に次ぐ位を表すと思われる。 |
| 絳地: | 「絳」は「説文」で「大赤也」で真紅の意。[一]にある通り、「綈」の誤字だとすれば、「厚繪(あつぎぬ)」のこと。 |
| 交龍錦: | 龍の図柄のある錦のことか。 |
| 縐粟罽: | 「縐」は「絺之細者,一曰蹴也」。「絺」は「ほそぬの。細いくず糸で織った布」。「罽」は「爾雅釋詁」で「氂罽也」。「氂」は「胴体両側と足に長い毛の生えた牛」のこと。「羊毛」を指すこともある。いずれにしろ「毛皮」の一種。 |
| 蒨絳: | 「蒨」は「茜」と同義で、「大赤(真紅)」のこと。 |
| 紺青: | 「説文」で「紺」は「帛深青揚赤色」。「紺青」は織物のことらしい。 |
| 荅: | 「答」の異体字。 |
| 貢直 | 「直」は「値」のことで、「答~貢直」で「貢物の値に相当させる」こと。 |
| 句文錦: | 「句文」とは「曲がった模様」のこと。曲線模様のついた錦のことか。 |
| 細班華罽: | 「班」は「斑」と通じ、文様のこと。細い模様のついた毛皮のことか。 |
| 五尺刀: | 「五尺」は約120cm。 |
| 録受: | 受け取る、収めることだが、「録」は「記録」の意がある。 |
(備)「金印」が下賜されている。福岡市で発見された「倭奴国王」の銘が入った金印は、「後漢」時代に「奴国」の国王がもらったものとされているが、卑弥呼がもらった金印には恐らく「親魏倭王」と彫られていたのだろう。下賜品については、その「量」を表す単位(量詞)が次ぎのように分類できる。①織布=「匹・丈」(長さ)②毛皮=「張」(枚数)③貴金属、宝石=「両・斤」(重さ)④刀=「口」(本数)⑤銅鏡=「枚」(枚数)。
リンク:「中国古代の度量衡換算表」
*正始元年,太守弓遵遣*建中校尉梯儁等,奉詔書印綬詣倭國,拜假倭王,幷*齎詔賜金、帛、錦、罽、刀、鏡、*采物。倭王因使上表荅謝詔恩。
訳
正始元年、太守弓遵は建中校尉梯儁らを遣わし、詔書、印綬を奉って倭国に赴き、倭王に謁見し、詔勅とともに金、錦、罽、刀、鏡、鉱物・宝石を賜った。倭王は郡使を通して詔恩(天子の恩)への謝辞を表した。
注
| 正始元年: | 240年。→魏の元号 |
|---|---|
| 建中校尉: | 官名と思われるが、実際にどのような職かは不明。「建中」とは「中正の道を立てて示す」という意味。 |
| 齎詔: | 「齎」は「たずさえる」という意味。中国では古来、使者が天子に代わって拝者に対して「詔勅」を読み上げる慣わしがある。ここでも帯方郡から来た使者(梯儁)が倭王に「詔書」を読み上げたと思われる。 |
| 采物: | 「采」は「採」。「采物」とは採掘物(宝石や鉱石)のこと。前出「詔書」にある「眞珠・鉛・丹各五十斤」を指す。 |
(備)ここは、景初二年十二月に出された詔書および下賜宝物を携えた使者が倭国に来た情景である。「魏志倭人伝」の書き出しの帯方郡から邪馬台国までの行程は、この時の使者の同行者がつぶさに取材したのではないだろうか。
其四年,倭王復遣使大夫*伊聲耆掖邪狗等八人,上獻生口、*倭錦、*絳青縑、緜衣、帛布、丹、木彳付、短弓矢。掖邪狗等*壹拜率善中郎將印綬。
訳
正始四年、倭王は再び大夫伊聲耆掖邪狗ら八人を遣わし、奴隷、倭錦、絳青縑、綿衣、布帛、丹、木彳付、短弓矢を献上した。掖邪狗らは共に率善中郎將の印綬を賜わった。
注
| 正始四年: | 243年。→魏の元号 |
|---|---|
| 伊聲耆掖邪狗: | (?)イシェイキ・イェッジェコ。「伊:於脂切=yi」「聲:書盈切=shei:」「耆:渠脂切=kyi」「掖:羊益切=yiek」「邪:以遮切=je」「狗:古厚切=kou」 |
| 倭錦: | 「倭」独特の文様だったのだろうか。 |
| 絳青縑: | 「絳」は「説文」で「大赤也(真紅)」で真紅の意。「縑」は「説文」で「并絲繪也(細絹)」。赤地に青い刺繍のある織物か。 |
| 木彳付: | 不明。 |
| 壹拜: | 「壹」は「共に」と思われる。八人とも「率善中郎將」の印綬を賜った。 |
其六年,詔賜倭難升米*黄幢,付郡假授。
訳
正始六年、倭の難升米に黄幢の下賜の詔勅が出、帯方郡にもたらされた。
注
| 正始六年: | 245年。→魏の元号 |
|---|---|
| 黄幢: | 「幢」は「説文」で「旌旗之屬(旗の一種)」。難升米は「景初二年」に「率善中郎將(将軍に次ぐ武官)」を拝命しているので、これは「軍旗」かと思われる。 |
(備)記録にはないが、これより前に「倭国」側から「黄幢」の下賜を請うたのではないだろうか。「倭国」内で、「黄幢」がどうしても必要な何らかの事情が発生したと考えられる。ここまでで、「黄幢」はまだ帯方郡に届けられただけである。
其八年,太守王頎到官。倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和,遣*倭載斯烏越等詣郡,説相攻撃狀。遣*塞曹掾史張政等,因齋詔書、黄幢拜假難升米為檄告喩之。
訳
正始八年、太守王頎が任官した。倭の女王卑弥呼は、狗奴国男王卑弥弓呼とかねてより不和で、倭載斯烏越らを帯方郡に遣わし、互いに攻撃している現状を説明した。(太守は)塞曹掾史張政らを遣わし、詔書、黄幢を難升米に授けることを檄として告諭した。
注
| 正始八年: | 247年。→魏の元号 |
|---|---|
| 卑彌弓呼: | ピミキュウホ。「卑:補移切=pui」「彌:武移切=mi」「弓:居戎切=kyu:」「呼:荒烏切=khu」 |
| 倭載斯烏越: | ウィサイシオワットゥ。「倭:於為切=wi」「載:作代切=tsai」「斯:思移切=syi」「烏:哀都切=o」「越:王伐切=wat」 |
| 塞曹掾史: | 「塞」は要害の地で、「曹」は「役所の分局」などの意がある。「掾史」は「実務を担当する下役人」。帯方郡で実務を取り扱う下層役人の役職かと思われる。 |
卑彌呼以死,大作冢,徑*百餘歩,徇葬者奴婢百餘人。更立男王,國中不服,更相*誅殺,當時殺千餘人。復立卑彌呼*宗女壹與年十三為王,國中遂定。
訳
卑弥呼が亡くなり、直径が百歩余りの大きな塚を作って、奴婢百人余りを殉葬した。男王を立てたが、国内は服さず、それまで以上に互いに殺し合い、千人余りが死んだ。卑弥呼の宗女・年十三の壱与を王として立て、国はやっと治まった。
注
| 百餘歩: | 約145m。魏代の度量衡で「1歩」は約1.4472。 |
|---|---|
| 誅殺: | 「誅」は「説文」で「討也」。 |
| 宗女: | 「宗」は「説文」で「尊祖廟也」。従って「宗女」は「一家あるいは一族を宗族した女子」のこと。 |
(備)卑弥呼の家系は女子相続のようだ。「男王」は「邪馬台国」の王なのか、よく分からない。「男王」を不服とした国内が最後に落ち着いたのは、「壹與」が卑弥呼の宗女だからなのか、それとも「女王」だからなのか。
政等以檄告喩壹與。壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人,送政等還,因詣*臺,獻上男女生口三十人,貢白珠五千孔、青大*句珠二枚、*異文雜錦二十匹。
訳
(張)政らは檄をもって壱与を告諭した。壱与は倭大夫・率善中郎將掖邪狗ら二十人を遣わして、(張)政らを送り返し、洛陽政府に出向いて、男女の生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大勾玉二枚、異文雑錦二十匹を貢いだ。
注
| 臺: | 中央政府の役所。よってここでは、掖邪狗らは魏の都・洛陽に赴いたことになる。漢代は「尚書」を中台、御史を憲台と呼び、後世には「尚書」「御史」を「台官」と呼んだ。 |
|---|---|
| 句珠: | 勾玉。 |
(備)張政すなわち帯方郡は、壱与を倭国の継承者として認めた。壱与は卑弥呼時代の外交政策を継ぎ、引き続いて魏に朝貢した。