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![]() | 『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』 岩波文庫 |
倭在韓東南大海中,依山島爲居,凡百餘國。自*武帝滅*朝鮮,使驛通於漢者三十許國,國皆稱王,世世傳統。其大倭王居邪馬臺國。[1] *樂浪郡徼,去其國萬二千里,去其西北界*拘邪韓國七千餘里。其地大較在*會稽東冶之東,與*朱崖、*儋耳相近,故其法俗多同。
[1]案..今名邪摩(惟)〔堆〕,音之訛也。
訳
倭は韓の東南海中にあり、山の多い島をその居住地とし、およそ百余りの国に分かれている。武帝が朝鮮を滅ぼして以来、漢に使いを通じたのは三十数国。それらはみな王を称し、代々世襲である。大倭王は邪馬台国に住む。楽浪郡から(邪馬台)国までは一万二千里である。その西北国境である拘邪韓国までが七千里余り。およそ會稽東冶の真東に位置し、朱崖、儋耳と近く、その法制風俗もおおよそ似ている。
[1]案:現在の名「邪摩惟〔堆〕」は音が訛ったもの。
注
| 武帝: | 前漢第7代皇帝(世宗)。BC141~BC87年。 |
|---|---|
| 朝鮮: | 衛氏朝鮮(衛満朝鮮)のこと。BC108年に武帝によって滅ぼされた。 |
| 樂浪郡: | (らくろうぐん)。衛氏朝鮮(衛満朝鮮)がBC108年に武帝によって滅ぼされた後、漢王朝がこの地を経営するために置いた郡。 |
| 拘邪韓國: | 『魏志倭人伝』に登場する「狗邪韓國」と同一と思われる。では「帯方郡~狗邪韓國が七千餘里」となっている。→「魏志倭人伝を読み解す」>「行程 - 文明圏から国境へ」 |
| 會稽東冶: | 會稽:当時の行政区「會稽郡」、現在の中国浙江省から江蘇省あたり。/東冶:現在の中国福建省閩(びん)侯県あたりとされる県。 |
| 朱崖: | 郡名。広東省瓊山県東南三十里に位置するとされ、現在の海南島と思われる。 |
| 儋耳: | 郡名。広東省儘県西北三十里に位置するとされ、現在の海南島と思われる。 |
字音考察
拘:舉朱切(唐韻)/恭于切(集韻/韻會)。(kyu)
土宜*禾稻、*麻紵、蠶桑,知織績爲*縑布。出白珠、青玉。其山有丹土。氣溫*腝,冬夏生*菜茹。無牛馬虎豹羊鵲。[1]
[1]「鵲」或作「雞」。
訳
土地は粟稲の栽培に適し、苧麻(チョマ)、蚕桑を産し、絹を織ることを知っている。白珠、青玉が出る。山では丹(赤い染料の石)が採れる。気温は温暖で、冬も夏も野菜ができる。牛馬虎豹羊鶏はない。
[1]:「鵲」は「雞」とも書く。
注
| 禾稻: | アワと稲。 |
|---|---|
| 麻紵: | 苧麻(チョマ、カラムシ)。「紵」は「説文」で「檾屬,細者為〔糸+全〕,粗者為紵」とされ、さらに「檾(イチビ)」は「枲屬(カラムシの仲間)」とある。いずれにしても麻の原料。 |
| 縑: | 細絹。「説文」には「并絲繪也」とあり、絹糸で色鮮やかに織った織物か。 |
| 腝: | 「暖」の異体。 |
| 菜茹: | 「菜」「茹」とも野菜のこと。 |
其兵有矛、楯、木弓,竹矢或以骨爲鏃。
男子皆黥面文身,以其文左右大小別尊卑之差。其男衣皆*橫幅結束相連。女人被髮*屈紒,衣如*單被,貫頭而著之,並以丹朱坋身,[2] 如中國之用粉也。
[2]説文曰:「坋,塵也。」音蒲頓反。
訳
男子はみな顔と体に刺青をし、その左右大小の別をもって尊卑を区別する。男子の衣服は横長の布を結んでいる。女人は髪を折って結い、衣服は一枚布で、頭から被り着用し、体には丹朱を塗っている。これは中国で白粉を用いるようなものである。
[2]:「説文」いわく「坋は塵なり」。音は蒲頓反(pon)。
注
| 橫幅: | 横長の四角い布。「幅」は「説文」で「布帛廣也(布が広いこと)」。 |
|---|---|
| 屈紒: | 髪を折り曲げて曲げにしていること。 |
| 單被: | 「被」は「説文」で「寝衣也」。 |
有城栅屋室。父母兄弟異處,唯會同男女無別。飮食以手,而用*籩豆。俗皆徒跣,以蹲踞爲恭敬。人性嗜酒。多壽考,至百餘歲者甚眾。國多女子,*大人皆有四五妻,其餘或兩或三。女人不淫不妒。又俗不盜竊,少爭訟。犯法者沒其妻子,重者滅其門族。其死停喪十餘日,家人哭泣,不進酒食,而等類就歌舞爲樂。灼骨以卜,用決吉凶。行來渡海,令一人不櫛沐,不食肉,不近婦人,名曰「持衰」。若在塗吉利,則雇以財物,如病疾遭害,以爲持衰不謹,便共殺之。
訳
まちには柵があり家屋がある。父母兄弟は同居せず、一同に集まる時だけは男女の別がない。飲食は手を使い、「籩豆」を用いる。皆はだしで、蹲踞によって敬意を表す。酒を好む。多くは長寿で、百歳を越える者が非常に多い。国には女子が多く、大人は皆4~5人の妻を持ち、それ以外でも2~3人を持つ。女性はみだらでもなく嫉妬もしない。また、盗みをせず、訴訟も少ない。法を犯した者は妻を取り上げられ、罪が重い者は門族を滅ぼされる。喪は十日余りで、家人は泣いて酒食をしない。親類は歌舞して楽しむ。骨を焼いて占いをし、吉凶を決める。渡海する際は、1人に櫛や沐浴を禁じ、肉を禁じ、女性に近づかせない。これを「持衰」という。吉祥があれば、(その人に)財物を与え、病気災難などがあれば、「持衰」が不謹慎だったとして共にこれを殺す。
注
| 籩豆: | 祭りや宴会に用いる器。「籩」は竹製で果実などを盛る。「豆」は木製で塩辛などを盛る。 |
|---|---|
| 大人: | 身分の高い人。 |
*建武中元二年,*倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。*光武賜以印綬。*安帝*永初元年,倭國*王帥*升等獻生口百六十人,願請見。*桓、靈閒,倭國大亂,更相攻伐,歷年無主。有一女子名曰卑彌呼,年長不嫁,事鬼神道,能以妖惑眾,於是共立爲王。侍婢千人,少有見者,唯有男子一人給飮食,傳辭語。居處宮室、樓觀、城栅,皆持兵守衞。法俗嚴峻。
訳
建武中元二年(紀元57年)、倭奴国が朝貢した。使者は自ら大夫と称し、倭国の最南端であるとした。光武帝は印綬を賜った。安帝の永初元年(紀元107年)、倭国王帥升らが生口160人を献上し、拝謁を請うた。桓・靈年間(紀元146~189年)、倭国は大いに乱れ、国同士で攻め合い、長年君主がいなかった。卑弥呼という女子があり、長じても嫁がず、鬼神道に従事し、民衆を惑わすことができた。そこでこれを王として共立した。侍婢が1000人あり、会うものは少なく、男子1人だけが飲食を給仕し、言葉を伝えた。(卑弥呼の)宮室、楼観(たかどの)、城柵には、全て兵が警固している。法俗が非常に厳しい。
注
| 建武中元: | 元号。建武:25~56年。/中元:56~57年。建武中元二年は57年。→「後漢の元号」 |
|---|---|
| 倭奴國: | 天明4年(1784年)に福岡市で発見された金印には、「漢委奴國王」と刻されている。ここにある「倭奴國」は金印の「委奴國」に当たるとされ、この金印が57年に光武帝の命によって与えられたものである根拠となっている。→福岡市博物館 - 金印 |
| 光武: | 後漢の初代皇帝世祖・光武帝。在位25~57年。 |
| 安帝: | 後漢の第6代恭宗。在位106~125年。 |
| 永初: | 元号。107~113年。永初元年は107年。→「後漢の元号」 |
| 王帥: | 軍の長官か。 |
| 升: | これが名前と思われる。 |
| 桓靈閒: | 桓は第11代桓帝(成宗・146~167年)、靈は第12代霊帝(劉宏・167~189年)を指す。 |
自女王國東度海千餘里至*拘奴國,雖皆倭種,而不屬女王。自女王國南四千餘里至*朱儒國,人長三四尺。自朱儒東南行船一年,至*裸國、*黑齒國,使驛所傳,極於此矣。會稽海外有*東鯷人,[1] 分爲二十餘國。又有*夷洲及*澶洲。傳言*秦始皇遣方士*徐福將童男女數千人入海,[2] 求*蓬萊神仙不得,徐福畏誅不敢還,遂止此洲,世世相承,有數萬家。人民時至會稽市。會稽東冶縣人有入海行遭風,流移至澶洲者,所在絶遠,不可往來。[3]
[1]鯷音達奚反。
[2]事見史記。
[3]沈瑩*臨海水土志曰:"夷洲在臨海東南,去郡二千里。土地無霜雪,草木不死。四面是山谿。人皆*髠髮穿耳,女人不穿耳。土地饒沃,既生五穀,又多魚肉。有犬,尾短如*麕尾狀。此夷舅姑子婦臥息共一大牀,略不相避。地有銅鐵,唯用鹿格為矛以戰鬬,摩礪青石以作(弓)矢〔鏃〕。取生魚肉雜貯大瓦器中,以鹽鹵之,歷月所日,乃啖食之,以為上肴"也。
訳
女王国から東に海を1000里余り行くと拘奴国に至る。倭種であるが、女王には属さない。女王国から南に4000里行くと朱儒国に至る。人の身長は3~4尺である。朱儒国から東南に1年航行すると裸國、黑齒國に至る。使訳が伝えるのは、ここが果てである。会稽より海の向こうには東鯷人があり、二十国余りに分かれる。さらに夷洲と澶洲がある。伝説では、秦始皇が方子徐福を遣わし、男女児数千人を連れて海へ出、蓬莱の神仙を探させたが見つからず、徐福は死罪を恐れてそこに留まった。その後、代を重ね数万世帯となった。(その地の)民は、時に會稽へ商いに来る。會稽東冶県の中にも、海で大風に遭難して澶洲に流れ着く者もあるが、非常に遠いために往来できない。
[1]:鯷の音は達奚反(dei)。
[2]:この事は「史記」を参照。
[3]:沈瑩の「臨海水土志」曰く、「夷洲は臨海東南にあり、群より二千里。その土地には霜雪がなく、草木も枯れない。周辺は山谿。人は皆髪を剃り、耳に穴を開ける。女性は耳に穴を開けない。土地は肥沃で、五穀を産し、魚と肉も豊富。犬は尾が短く、麕の尾のようだ。夷舅姑子婦は大きな床でとも起居し、少しも忌避しない。土中には銅・鉄があり、戦闘には鹿の骨だけを用い、青石を削って弓矢の鏃を作る。生魚生肉を大きな甕で一緒に塩漬けにする。1月余りしてからこれを食べる。これを貴重な食べ物とする」。
注
| 拘奴国: | 「魏志倭人伝」に出てくる「狗奴國」(→「魏志倭人伝を読み解す」-「行程」)のことと思われる。前出の「拘邪韓國」も、「倭人伝」では「狗邪」で「後漢書」では「拘邪」となっており、「拘」と「狗」という同一の対応関係にある。ただし、「倭人伝」が「其南有狗奴國」であるのに対し、「後漢書」では「東度海千餘里至拘奴國」となっており、方角が異なる。 |
|---|---|
| 朱儒國: | 「侏儒」は「背が低い人」という意味がある。だからこの後に人の身長が書いてある。よって国名は音訳ではなく意訳である。 |
| 裸國: | 「侏儒國」が意訳であるから、ここも意訳と考えて、「はだかの国」。 |
| 黑齒國: | これも意訳と考えて、「歯が黒い人の国」。 |
| 東鯷人: | 「鯷」はなまずのことらしい。「前漢地理志」にも「会稽海外有東鯷人」とあるらしい。民族は不詳。 |
| 夷洲: | 注の[3]にもある通り、沈瑩の「臨海水土志」がこの地のことを詳しく書き残している。通説では「夷洲」は現在の台湾のこととされる。 |
| 澶洲: | 「夷洲」が台湾であるなら、「夷洲」の東南にあるのはフィリピン。 |
| 秦始皇: | 秦の始皇帝。在位BC221~BC210年。 |
| 徐福: | →「徐福伝説」「徐福伝説」をご参照ください。 |
| 蓬萊: | 神仙が住むという想像上の島。渤海にあるとされた。「蓬莱山」ともいうらしい。 |
| 臨海水土志: | 230年頃、三国呉王の孫権は1万の兵を「夷洲」(台湾)に派遣し、その後呉の人・沈瑩が「臨海水土志」を書き残したという。 |
| 髠: | 「説文」で「剔髮也」。髪を剃ること。kun1 |
| 麕: | 「説文」で「麞也」。「麞」は「麋屬」とある。「漢和辞典」では「麕」は「キバノロ」。ちなみに「麋」は現在の「麋鹿(ビロク、学名:Elaphurus davidianus)」と思われる。麋鹿の頭は馬、角は鹿、尾はロバ、蹄は牛に似ているという。「夷洲」の犬の尾はロバの尾に似ているということだろうか。→「麋鹿」 |