晉書卷九七 - 四夷傳 - 倭人

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『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』
岩波文庫

晋書倭人伝を読む
2006年9月4日更新

- もくじ -
倭の概要
倭の地誌
倭の風貌
倭の風土
倭の軍備
倭の習俗
倭の国情

倭の概要

倭人在*帶方東南大海中,依山島為國。地多山林,无良田,食海物。舊有百餘小國相接,至*時有三十國通好。

倭人は帯方郡の東南の大海の中におり、山がちな島を国としている。その地は山林が多く、良田がない。古くは100余りの小国が相接し、魏の時代になってから30国が通好した。

帶方:帯方郡(たいほうぐん)。朝鮮半島内の地。魏に次いで晋も、ここを郡としてその支配下に置いていた。>>世界歴史事典データベース-帯方郡楽浪郡・帯方郡の研究古代朝鮮地図
魏:三国魏、曹魏。220~265年。「魏志倭人伝」に卑弥呼が頻繁に朝貢したことが載っている。

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倭の地誌

戶有七萬。男子无大小悉鯨面文身。自謂*太伯之後,又言上古使詣中國皆自稱*大夫。昔*夏大夫少康之子封于*會稽,斷髮文身,以避*蛟龍之害,今倭人好沉沒取魚亦文身,以厭水禽。計其道里,當會稽*東冶之東。

戸数は7万ある。男子は老若にかかわらず皆いれずみをしている。自らを太伯の末裔と称し、上古に中国に使いとして来た者は自らを大夫と称したともいう。昔、夏王朝の大夫少康が会稽に封じられた時、髪を切り、いれずみをして、みずちの害を防いだ。今、倭人は潜水して魚を取ることに長けているが、これもまたいれずみをして水鳥から身を守っている。その道のりを計算すると、(倭は)ちょうど會稽東冶の東である。

太伯:呉の始祖・太伯のこと。周族の古公亶父の長男とされる。弟に家督を継がせるため、荊蛮の地へ出奔し、自ら髪を切り、刺青をして頑なに帰るのを拒んだといわれる。倭人はこういう逸話をすでに知っていて、自らをその子孫だと称したのだと思われる。あるいは、中国人のほうが勝手にそう想像したのかもしれない。→「ウィキペディア:太伯
大夫:古代中国の官職。
夏大夫少康:夏王朝六代の王「相」の子とされる。
會稽:当時の行政区「會稽郡」、現在の中国浙江省から江蘇省あたり。
蛟龍:漢和辞典には「蛟」は「みずち」とあり、「竜の一種で四足があり、よく大水を起こす」とある。
東冶:會稽郡の中にあった県。現在の中国福建省閩(びん)侯県あたりとされる。

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倭の風貌

其男子衣以*橫幅但結束相連,略无縫綴。婦人衣如*單被,穿其中央以貫頭而被髮。徒跣。

男子は横長の布を少しも縫わずに、ただ結んでいるだけである。婦人の衣服はひとえの寝衣ようで、中央に穴を開け、頭からすっぽり着用し、髪は露出している。はだしである。

橫幅:横長の四角い布。「幅」は「説文」で「布帛廣也(布が広いこと)」。
單被:「被」は「説文」で「寝衣也」。

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倭の風土

其地溫暖。俗種*禾稻*紵麻而蠶桑織績,土无牛馬。

(気候は)温暖。アワ・稲、苧麻を植え、養蚕で糸を紡ぐ。牛馬はない。

禾稻:アワと稲。
紵麻:苧麻(チョマ、カラムシ)。「紵」は「説文」で「檾屬,細者為〔糸+全〕,粗者為紵」とされ、さらに「檾(イチビ)」は「枲屬(カラムシの仲間)」とある。いずれにしても麻の原料。

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倭の軍備

有刀盾弓箭,以鐵為鏃。

刀、盾があり、鉄で鏃を作る。

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倭の習俗

有屋宇,父母兄弟臥息異處。食飲用*俎豆。嫁娶不持錢,*帛以衣迎之。死有棺无*槨,封土為冢。初喪哭泣,不食肉,已葬舉家入水澡浴,自潔以除不祥。其舉大事*輙灼骨以占吉凶。不知*正歲四節,但記秋收之時以為年紀。人多壽百年或八九十。國多婦女,不淫不妬。无爭訟,犯輕罪者沒其*妻孥,重者族滅其家。

家屋があり、父母兄弟は起居を別にする。飲食には「俎豆」を用いる。結婚では金銭のやり取りをせず、絹の着て迎える。死者には棺(ひつぎ)はあるが椁(木の枠)はなく、土を盛って塚を作る。喪にあたっては泣き、肉を食べず、弔いが終わると一家で水に入り沐浴し、身を清めることで厄を祓う。大事には骨を焼いて吉凶を占う。暦を知らず、ただ秋に収穫する時を年の区切りとする。寿命は多くが100歳または80~90歳。女性が多く、女性は淫らでなく、嫉妬もしない。争いごとがなく、軽い罪を犯せば妻子を取り上げられ、多いものは一族を滅ぼされる。

俎豆:「俎」「豆」ともに肉などの供物をのせる祭器。
槨:「椁」の異体字。「説文」で「椁」は「葬有木享也」とある。
帛:「帛」はせ「説文」で「繪也」、絹のこと。
輙:「輙」は「輒」の異体字。その度ごとにの意。「韻會」に「毎事即然也」とある。
正歲四節:暦。「正歳」は「正月」のこと、「四節」は恐らく春秋時代(前770 - 前476)に定められた「仲春」「仲夏」「仲秋」「仲冬」のこと。
妻孥:妻子。

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倭の国情

舊以男子為王,*倭人亂攻伐不定,乃立女子為王,名曰卑彌呼,*宣帝之平*公孫氏也。其女王遣使至帶方朝見。其後貢聘不絕及*文帝作相,又數至*泰始初遣使*重譯入貢。

古くは男王であった。後漢末に乱れ、戦闘がおさまらなかったため、女子を王に立てた。名前を卑弥呼という。宣帝(司馬懿)が公孫氏を平定した頃(238年)である。その女王は帯方郡に使いを出して朝見した。その後も文帝(司馬昭)が相国になる(258年)まで朝貢が絶えなかった。その後数年して泰始の初め(265年)にまだ入貢があった。

漢末:後漢書倭伝」には倭が乱れたのは「桓靈閒」とある。「桓靈」の桓は後漢第11代桓帝(成宗・146~167年)、靈は第12代霊帝(劉宏・167~189年)を指す。
宣帝:司馬懿のこと。179~251年。字は仲達。司馬懿は「魏」の武将で、景初二年(238年)に公孫氏を滅ぼして楽浪郡・帯方郡を接収した。死後、その子孫が晋朝を開いてから「宣帝」と追号されている。→「ウィキペディア:司馬懿
公孫氏:後漢末から三国時代にかけて、遼東以北に勢力を張った半独立的政権。始祖の公孫度は後漢の地方官だったが、黄巾の乱(184年)の混乱に乗じて半独立化、その後楽浪郡などもその範囲内に収めた。204年には公孫康が帯方郡を設置した。→「ウィキペディア:公孫氏
文帝:司馬昭のこと。司馬懿の第二子。211~265年。西晋の開祖・司馬炎の父。258年(魏代)に相国・晋公に封じられているので、ここでいう「作相」もそのことかと思われる。→「ウィキペディア:司馬昭
泰始:265~274年。司馬氏の西晋の最初の元号。→「晋の元号
重譯:「譯」は「説文」で「傳譯四夷之言者」とあり、通訳の意。「譯」はつまり外夷と通じること、またはその役割をする人のことを指す。ここの「重譯」は「再び言葉を伝えた」という意味だろう。

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